難しそうなことをふわっと理解する

経済のような、わかりにくく敬遠されがちなものを極力わかりやすく解釈してみたいと思っています。

精神的支柱としての宗教、伝統的宗教の教義、日本人にとってのカトリックと武士道の利点

精神的支柱としての宗教

現代社会は政教分離・信教の自由を良しとしています。そのため特定の宗教を押し付けられることも押し付けられることもありません。また、科学の進歩によって多くの自然現象の背景の理解が深まることによって、神に感謝・畏れを抱くこと、神の存在を信じることが難しくなっています。

 

しかし宗教は人々の精神的支柱であり続けてきました。ところが現代では宗教の力が失われています。かわりになるものがあるのでしょうか?もちろんありません。宗教は人々に価値観・道徳・生きる理由、すなわち精神的支柱を与えてきましたが、これらの供給が途絶えたということです。

 

ではすべての人が精神的支柱を失ったかというとそうではありません。価値観を自分で確立できるタイプ(精神的強者とします)はむしろ宗教がなくなってホッとしてるぜと言わんばかりにいきいきと自由を満喫しています。しかし大半の人は、誰かが決めたルールに、既に存在する価値観に従うことを良しとしていて、従って潜在的に被支配欲求があります。自分で価値観を確立しろと言われても出来ない人が大半です(精神的弱者とします)。こう言うと反発を食らいそうですが、崇高な理念を掲げ、「俺についてこい!」っていう強いリーダーいたらいいなと思ってませんか?別に自ら価値観を確立することが正しく、できないことが悪いことではありません。性質の問題です。

 

ただ、多数を占める、自ら価値観を確立できない精神的弱者にとっては現代は生きづらい世の中です。日本においては正社員終身雇用モデルへの信用も失われつつあり、もはや今までの価値観は信頼するに値しない状況です。これからも世の中の常識や道徳は刻々と変化していくことでしょう。そうなると、今までの価値観を参考にできません。だから価値観を誰かに依存する人には厳しい時代だということです。

 

現代ではなく、昔はどうだったのか?昔…例えば中世ヨーロッパではカトリックの価値観が世界の価値観でした。もちろん中東ではイスラム教が価値観・道徳を示していました。当時の人たちは、カトリックイスラム教の教義に従っていれば良かったのです。その教義を疑うための方法論すなわち科学的手法は確立されていませんでしたし、カトリックイスラム教も、内容は良いことをいっているので、教義を信じて、信仰したり戒律を守ることに違和感を感じにくいと思われます。だからこそ、信仰の先に精神的な救いが得られるのでしょう。

 

伝統的宗教の教義

今残っている伝統ある大きな宗教は、概して良いことをいっている、考え方がマトモ、大した害がない、のうちの一つあるいは複数を満たしています。これから取り上げるのは宗教・宗教のような思想です。

※オーソドックスとユダヤ教については教義がよくわからないので解説をしません。

宗教のような思想(人々に救いを与える思想として成立するポテンシャルを秘めているという意味であって、宗教チックだからだめという批判ではない)

  • 武士道
  • (科学の本来の姿を理解していない人にとっての)科学
  • 正社員終身雇用モデル
カトリックの特徴
  • 聖書と教会が正しいとする。神父には権威があり、エライ。
  • 内面(信仰)と規範(善行)の両方を良しとする
  • 善行を積むことで死後救われるとする(予定説の否定)
  • カトリックの教えは時に聖書と反することをする。基本的に力を持った神父たちが正しいことをきめる
プロテスタントの特徴
  • 聖書のみが正しいとする。カトリックのように教会の権威を認めない。
  • 内面での信仰が全て。行いはノーカン。
  • 神の前では皆平等、牧師とは対等の関係
イスラム教の特徴
仏教の特徴
  • 一神教と違い、神が世界のルールを決めるのではなく、不変のルールが既にあるとす。
  • 輪廻転生。善行を積み重ねることでより上に進み、最終的には仏になれるとする。
  • 煩悩を断ち切ることを良しとする。欲望に耐える禁欲ではない。このために厳しい修行(戒律を守ること)が必要。
神道の特徴
  • 多神教。神は色んな物に宿るとする。
  • 基本的に教義というものがない。もちろん教祖や預言者も存在しない。従って宗教というには強度が弱い。
  • 神社。困ったときの神頼みのための存在。
武士道の特徴
  • 武士としての生き様
  • 義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義を大切にする
  • 良いことに関する知識のみではなく、良き人間になるための行動を重んじる
科学の特徴
  • この世をより深く知るための方法・思想と、それらによって得られた知識
  • 現代社会において強い支持を受けている
  • しかし科学の本来の姿というのは信じるのではなく疑うことがベース。全てを疑い、疑いきれないものを"まあ間違っているとは言うには厳しいから、暫定的にあっているとしようか。反例が見つかれば即間違ってると認定するけどな"とするスタンス。
  • しかし科学の本質がよくわかっていないほとんどの人々には批判的な思考能力が欠けているので、信じてしまう。

正社員終身雇用モデルの特徴

  • 勉強して、いい大学にいき、良い企業に正社員として入社する
  • 入社後は転職しないように、首にならないように、でしゃばらないように
  • 結婚して、マイホームを建てる
  • 定年退職後は年金でのんびり暮らす

 

日本人にとってカトリックと武士道がオススメな理由

日本人は、〇〇しなきゃいけない、という戒律/規範を非常に大事にする宗教を嫌います。また、自分で考えるのが苦手なため、内面的に信仰するのみで救われるという宗教や、何の行動も必要としない宗教からは救われる感が得られません。「これがいいことだ!」と納得感とともに力説するような権威をベースとした宗教が良いです。カトリックと武士道以外を批判することでなぜカトリックと武士道が日本人向けなのかを解説します。

プロテスタント

プロテスタントは本来のキリスト教にもっとも近いというのが日本人向けではありません。"カトリックの教えは聖書にかかれてないだろ!"という"抗議"(英語でprotest)からプロテスタントという名前があるわけですが、このような原理主義的なところが、日本人向けではありません。また、善行を積むことで救われるという思想に批判的なところも厳しいものがあります。善行というわかりやすいものを否定し、聖書と内面的な信仰を重要視しています。聖書をしっかり読み、理解し、解釈するということと、信仰によって救われると確信を抱けるほどのしっかりとした信仰は難しいでしょう。なので日本人には向いていません。

イスラム教

イスラム教は六信五行を重要視していますが、このうち五行、すなわち5つのイスラム教徒がすべきことというのが厳しいです。食事好きな日本人に日中の断食は困難でしょうし、きっちりと時間を守って礼拝すること(仕事や人間関係より礼拝を優先しなければなりません。人間より神のほうが尊いのですから。)ができません。喜捨(寄付)も無理でしょう、弱者に厳しいですから。

仏教

仏教には、本来の厳しい仏教と、日本にわたってユルクなってしまった仏教の二種類を考えます。本来の厳しい仏教は日本人に不向きです、なぜなら修行が必要ですから。ではゆるい宗教はどうかというと、ゆるすぎるせいで救いが得られると感じられないでしょう。例えば南無妙法蓮華経と唱えていれば仏になれるという日蓮宗の教えはどうなんでしょうか?こんなものを信仰することで自分が救われるのだと本気で思えますか?普通に考えてそうはならないでしょう、怪しすぎます。人々にとって救いとはそんな安っぽいものではないはずです。ある程度の厳しさがないと逆に人々は安心できないのです。

神道

神道は体系化された教義がありません。教義がないということは、これをしろということがないことを意味します。これをしろというのがないと、自分でどうすればいいか考えられない人は困ってしまうので、神道は現代の人々を救うことができません。

科学

科学を宗教と見立てた場合、神父や僧侶に相当するのは科学者となるでしょう。しかし科学者は、断言をしてくれません。断言することは科学にたいする冒涜ですからね。でも人々は断言を求めます。人々の関心である死後の世界も、霊的な存在も、科学は検証不可だから扱いません。だから科学は人々が望む答えを安易に提供してくれないという点で宗教となることはできません。なれるとしたらエセ科学ですが、エセ科学はだめでしょう。マジョリティの支持を受けることは出来ませんし、まともな科学者に批判されてしまいます。

正社員終身雇用モデル

この時代、良い大学に行っても良いところに就職できるかわかりませんし、良いところというのが入社から定年退職までずっと良い会社でい続けられる保証は全くありません。正社員として生きるのは言われているよりはるかにリスキーです。そもそも雇用規制緩和が起きれば、生産性の低い人は会社から追い出されます。にもかかわらず、ずっと給料がもらえる前提で高額のローンで家を買うというのは、人生の負債を重くしすぎているでしょう。心の支えとなるに値しません。
これらに大してカトリックと武士道は日本人にとって親和性が高く、精神的支柱となりうる要素を多く含んでいます。

カトリックはまさしく精神的弱者を救うために存在しているような宗教です。まずイスラム教のような面倒くさい規範がありません。キリスト教は本来規範を捨てて信仰を大切にすることを選んだ宗教ですから。仏教とキリスト教が日本に浸透できて、イスラム教ユダヤ教もです)が日本に全く浸透しないのは、この厳しい規範を守る必要がない(仏教の場合は、修行しなくてもOK!というふうに変貌を遂げたから)と考えてよいでしょう。でも信仰だけだとプロテスタントと同様に向いてないわけですが、カトリックは良い感じに規範を提供します。それがサクラメントです。サクラメントとは、たとえば洗礼とか、罪の告白とか、特別なパンを食べることとか、死者に油を塗るとか、結婚とか。要は、面倒な習慣的行事ではなく、ちょっとしたイベントなわけです。ちょっと特別感あっていいな、とかおもっちゃったりしてませんか?それが良いんです。頑張って信仰している"感"がでるのです。もっともプロテスタントはこういうのに本来の教えではないと批判してきたわけですが。また、予定説を採用していないのもの良いです。善行をつむことをよしとしています。これも善行を積むことを教義として肯定しているおかげで、信仰している感がでて、救われる気がしてくるのです。

武士道のよさ

武士道は義・勇・仁・礼・誠・名誉・忠義を大切にします。もうこれだけで、いいな!カッコイイな!と思いませんか。実際にそういう人はもうほとんどいないよねと思う方が大半でしょうけれど、でもそういう人がいたらいいなと日本人は思うはずです。だからいいのです。そういう素晴らしい人にすこしでも近づけるように頑張りましょう、という教えは救いを与えると私は考えました。

 

参考文献:

武士道 新渡戸稲造

日本人のためのイスラム原論 小室直樹

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 マックス・ヴェーバー

道徳の系譜 フリードリヒ・ニーチェ

 

東芝の粉飾と今後の監査法人のあり方の提案

東芝の粉飾が明らかになってから7/20まで、未だ全貌が見えない東芝の粉飾問題。私が興味を持ったのは、なぜ監査法人がいながら粉飾がおきたか、どうすれば監査法人は粉飾をきちんと指摘ができるかです。

 

※内容としては東芝への糾弾という個別の問題ではなく、そもそもなぜ監査法人が粉飾を効果的に防げないのかという環境・社会のシステム面の考察です。

 

目次

1. 経緯
2. 粉飾の利害関係者
3. なぜ粉飾はいけないのか?
4. 監査法人の仕事
5. 監査法人が粉飾に厳しくなれない理由
6. 監査法人がしっかりと粉飾を指摘できるようになるための提案
7. 粉飾に甘い理由
8. 結論:不正を防ぐためにはシステムを変えよう


1. 背景

7月20日、東芝が組織的に不正を行っていたことが明らかになりました。

www.yomiuri.co.jp

 「経営トップらを含めた組織的な関与の下、見かけ上の利益をかさ上げしようとする確たる目的に基づいて意図的に行われていた」と明記した。過去に遡って修正すべき利益は最終的に1562億円(うち、第三者委の調査分は1518億円)にのぼった。

粉飾は悪いことです。しかし粉飾は人々の関心をあまり集めないようです。粉飾は経営者と投資家以外にとって当事者意識を持ちにくいものだと思いますが、経営者でも投資家でもない大多数の労働者にとっても大事な問題だと私は考えています。少なくとも、今ホットなトピックである集団的自衛権よりは身近ではあると思いますよ、集団的自衛権は大事な問題ではありますが、実際に戦地に赴く人の数より企業で働く人の数のほうが多いですから、粉飾がなぜダメなのか理解できれば多くの人が粉飾に問題意識を持てるようになるはずです!

 

2. 粉飾の利害関係者

今回の東芝の粉飾事件の主な利害関係者を図にしました。

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企業は、投資家から投資されたお金を使って事業をし、商品やサービスを顧客に提供し、見返りにお金を得ます。利益は投資家に還元します。東芝のような上場企業は利益をどれだけ得ているのかを報告する義務があります。この数字が正しいかを調べるのが監査法人です。投資家は企業が出す、利益などの会計の数字を見て、この企業は魅力的!と思える企業に投資をします。ですから投資家にとってはこの会計の数値の信頼性は命綱です。


そして東芝は利益の値についての嘘をつきました。新日本有限責任監査法人も数値が間違っている書類にOKを出しました。これはいけないことです。会計の数値が間違っていることは投資家の信頼を損なう行為です。つまり問題になっているのは粉飾をした東芝と、その粉飾の指摘が本来すべき仕事である新日本有限責任監査法人です。

 

3. なぜ粉飾はいけないのか?
粉飾は、主に利益を水増しして企業をより良く見せるために行われます。利益が多ければ経営者は有能とされ、企業の株価は上がります。つまり、粉飾は無能な経営者を経営者の立場に止め、価格に見合わない株を投資家に押し付ける詐欺行為です。

 

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粉飾の短期的な被害者は主に投資家ですが、粉飾が慢性的にはびこる社会ではいずれ投資をしない人々も損害を被ります。投資家がその投資家に粉飾にしっかり制裁が加えられない状況では企業の経営は放漫で非効率なものとなります。非効率な企業の競争力は低下します。なぜなら、常に利益を出せとプレッシャーをかけられている企業はコスト削減やより儲かる事業への挑戦を通じて利益を高める努力をしていまるからです。そんな企業に、粉飾をして沢山の利益がでているとごまかしている企業がどうやって太刀打ちできるでしょうか?競争力が落ちた企業はいずれ淘汰されます。淘汰というのは、例えば従業員の給料を下げたり、リストラしたり、あるいはサービス残業を強いる等でいずれ従業員に降り掛かってくるか、あるいは倒産して雇用そのものが全てなくなります。嘘は短期的には有効かもしれませんが、ずっとつき続けることはできません。なぜなら嘘はつくたびにボディーブローのように企業にダメージをじわじわと与え、そして露呈した瞬間に信用を失うからです。

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4. 監査法人の仕事

監査法人の仕事は粉飾を見ぬくことです。しかし、なぜわざわざ監査法人が必要なのでしょう?企業が粉飾をしなければ不要な存在なのに?

 

それは、上手くいっていない企業の経営者はほうっておくと粉飾に手を染めがちだからです。


投資家は経営者をクビにする力があります。利益がガンガンでている企業の経営者はどうなるでしょうか?クビにするわけがありません。かわりに名誉と高い報酬が与えられます。では利益の出ていないダメな企業の経営者が正直に結果を報告したらどうなるでしょう?報酬が下がるかもしれませんし、クビになるかもしれません。つまり、利益が出ていないことを正直に報告することはとてもむずかしいことなのです。これは怒りっぽい上司に部下が報告しなくなるということとよく似ています。

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だから、監査法人がない場合はどの企業も株主への報告会である株主総会では基本的にキレイなことしか言いません。ビジネスが上手く言っていればもちろん「儲かってます!」と言いますし、儲かってなくても「儲かってます!」と経営者は言いたくなります。今の時代、大企業の経営者は数年で変わることが多いですから、数年間ごまかしきれば、その間報酬だけ貰ってサヨナラできますからね。しかしこれでは投資家は困ります。なぜなら健全な企業も粉飾をしている企業も儲かっているとしか言わないからです。これでは怖くて投資ができません。

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そうすると、健全な企業はしっかりとした報告をしているのに投資家から信用されなかったり、健全な企業が上場する・増資するときに投資家からの資金調達が難しくなります。この状況はとてもまずい状況です。


このような状況では監査法人が役に立ちます。監査法人の役割は企業の内部を調べて粉飾を見ぬくことです。粉飾している企業を見抜く監査法人のおかげで、投資家は粉飾している企業に投資することを避ける事ができます。結果、きちんと良い結果、正しい報告をする企業が報われるようになる、ということです。現在、日本で上場するためには毎年きちんと監査法人から監査を受けなければなりませんし、企業の結果・現状を表す財務諸表を公開し、投資家には報告書を出さなければなりません。こうやって、悪い経営者に粉飾をさせないように防いでいます。

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5. 監査法人が粉飾に厳しくなれない理由

しかし現実には東芝で粉飾がおきました。しかも監査法人がついていながらです。なぜでしょうか?監査法人がうっかり見逃してしまったという可能性もありますが、私は監査法人が企業からのプレッシャーに弱い体質に問題があると考えています。

 

監査法人の最大の弱点は、監査すべき対象である企業から監査の報酬をもらうというビジネスを行っていることにあります。監査法人の主な仕事は企業が粉飾をしていないかチェックする監査で、この監査という仕事はどの監査法人がやっても大体一緒です。もちろん違いはありますが、企業ほどバラエティに富んでいません。これは当たり前で、各監査法人が好き勝手、基準が異なる監査をするのでは監査の意味がありません。ですから、監査は必然的に同じようなものになり、監査法人間の差別化が企業と比べて極めて難しいです。

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つまり、どこに頼んでもだいたい同じということです。むしろ同じでなければなりません。監査のための基準があるためです。

 

どの監査法人も監査という仕事についてはだいたい同じなので、監査法人は価格交渉力が弱いです。審査に時間がかかり、多額の監査報酬を支払う大企業は、嫌なら他の監査法人にしてもいいんだぞとプレッシャーをかけつつ監査法人に監査報酬を下げろと簡単に言えますし、汚い部分を見逃す方にも流れてしまうでしょう。大企業からの報酬をもらえないと自分たちのクビを締めることになりますので、監査法人は本来なら厳しく監査すべきところですがある程度妥協せざるをえません。

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6. 監査法人がしっかりと粉飾を指摘できるようになるための提案

ではどうすべきか?私の考えは、監査法人が直接企業から監査報酬を受け取るのをやめ、証券取引所がかわりに監査報酬を支払う、というものです。


証券取引所の仕事は投資家が投資をする場を提供することなので、監査法人に報酬を払うのは自然な流れです。すると監査法人は企業からの圧力から解放され、強気に、良心の呵責にさいなまれずに監査の仕事ができます。証券取引所は投資家か企業のどちらかから監査報酬分のお金を広く徴収すればいいのですが、どちらから徴収しても筋は通ります。投資家であれば、安心して投資できる環境を整えてもらっていることに対するサービス料として、企業であれば、投資家に信頼してもらう上でのお墨付きの対価として。そもそも企業から徴収しても、その分のコストが利益から引かれ投資家に対する配当が減るので、似たようなものです。どちらかと言えば企業に払ってもらうほうが見た目の負担が変わらないので良いと思います。

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このような制度に変更した場合、

  • 消費者:あまり影響を受けません。
  • 企業:監査法人が厳しくなるので、粉飾をする企業にとっては向かい風です。良いことです。
  • 監査法人:企業からお金をもらっていないので、粉飾を強く指摘できます。良心が傷まず仕事ができます。
  • 投資家:財務諸表の信頼性が向上して、粉飾のリスクが下がります。
  • 証券取引所:仕事が少し増えます。その代わりに粉飾によるトラブルが減ります。可能性として、投資家が増えて利益が増えるかもしれません。

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7. 粉飾に甘い理由

粉飾は投資家に対する詐欺、と先述しましたが、にも関わらずなぜ粉飾に甘いのでしょうか?


投資をしておらず、経営者でもない人達にとっては企業は重要は雇用先です。あまり厳しく粉飾した企業を追及してしまうと、給料が下がったり、リストラが起きたり、そこで働いている人なら職を失ってしまいます。現実としてリストラが起きるかもしれません。


監査法人は投資をしない限りあまり縁のない存在です。投資家は金を持つ、金儲けを道徳的に良しとしないこの国では疎まれる存在です。ですから粉飾で投資家が損をしてもどうでもいいことです。

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8. 結論:不正を防ぐためにはシステムを変えよう

 

しかし、粉飾が横行するような文化では企業は非効率になり、競争力を失っていきます。そうなるといずれその企業は淘汰されます。いつかは現実に向きあう日が来るのです。そして現実に向きあう日が早ければ早いほど痛みは小さくて済みます。東芝が粉飾して、新日本有限責任監査法人がそれを見抜かなかった、という個別のケースで終わりにするのではなく、不正が起きにくくなるようなシステムに変えていくことが大切です。